植村ダイバーと呼ばれる、知る人ぞ知るダイバーズウォッチ、SEIKO 6105-8110が、自宅の物置に眠っていました。
埃まみれで。
1970年代当時、実家が民宿をやっていた時代に、お客が忘れて行ったものと思われます。
軽く振ってみたら、なんと動くではないですか。
この時点で、この時計がまさか植村ダイバーだとは、管理人は分かりませんでした。
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植村ダイバーSEIKO 6105-8110
植村ダイバー。文句なしにカッコ良いですね。
この時計は、管理人が小学校の頃、いつの間にか我が家に存在していたという(笑)、珍しい経緯を辿ってます。
70年代当時、我が家では民宿をやっていたので、当時宿泊したお客が置いて行ったものと思われます。もう40年以上昔の話です。
目ざとく管理人が見つけて親に言ったのですが、趣味人ではない父親は、全く取り合わず。
ダイバーズウォッチなんて重いだけだからいらない。と。
それで、管理人が預かったのですけど、小学生の腕には確かに重く感じました。
父親は健在なので、つい先日も、この時計について聞いてみたら、記憶に無いとの事でした。
当時は、しかもクォーツショック真っ只中でしたから、機械式時計はもう時代遅れと言ったような風潮も手伝っていたのでしょう。
小学生から中学生になり高校生になり、時計をしだす頃になっても、この時計を腕に巻くなどという事は、思いもよらなかった訳です。
価値ある時計だという事も知りませんでしたし。
それが、ここ10年で管理人も時計趣味に見覚めたので、確か古い時計があったな!と、思い出した訳です。
それで、物置を探してみたら、運よく出てきました。
捨てられてなくて良かったと言うしかありません。
植村ダイバーSEIKO 6105-8110をメンテナンス依頼する
この時計は、確か、リューズでゼンマイを巻く事が出来ないんです(笑)。
自動巻きオンリーという珍しい構造。
長時間、ゆらーりゆらーり揺すってから腕に巻いて、とりあえず、丸々一日腕に巻いてみました。
もちろん、ほこりまみれで汚い状態だったので、歯ブラシと楊枝で、良く汚れを落としてから。
丸々一日で、4時間くらい狂ったかな(笑)。
メンテナンスに持って行った時計屋さん曰く、油切れの状態だったとの事でした。
裏蓋を開けて、中を見せてくれたのですけど、パッと見、非常に綺麗。
管理人は、時計の裏蓋を開ける事は出来ないので、写真でお見せ出来ないのが残念と言うしかありませんが。
分解清掃と油さしてもらって、磨きをやってもらいました。
- パッキンの交換は無し。
- 風防の交換も無し。
- 夜光の再生も無し。
- ヘタった針の再生も無し。
- 焼けた文字盤もそのまま。
大体、部品が無いですから。
でも、風防があれば、交換したかったです。
焼けた文字盤の再生って出来るのか?とか、夜光を再生しても良いのか?とか、管理人には分からない事だらけです。
この植村ダイバーSEIKO 6105-8110は、リアルアンティークですからね。
ところどころ、新しくしちゃうのではなくて、このまま使うのが正しいのでしょうかね。
ちなみに、一日4時間の狂いが、メンテナンスしてもらってからは、50秒程度に収まるようになりました。
植村ダイバーSEIKO 6105-8110は、今の時代でもカッコ良い
今、付けても、普通にカッコ良いのが、逆に笑えるというか(笑)。
どこに出しても恥ずかしくない時計。
この植村ダイバー、型番全く同じかどうか分からないですけど、再販されたんですよね。
いまの技術で。
売れるんではないでしょうかね。
カッコ良いですもん。
ケースの形が非対称だからなんだか、管理人の目には、あまりSEIKOっぽく映らないです。
風防は傷だらけ。
写真だと分からないですけど、風防に傷が多いのが気になります。
どこに出しても恥ずかしくないと書きましたけど、この傷が、この時計を巻いて出かけるのを躊躇させてる原因かも。
管理人は、どちらかというと、この時計をガンガン使いたいんです。
アンティークをガンガン使っても、この植村ダイバーなら大丈夫だろうと、何故か思ってるという。
一日50秒の狂いさえ我慢すれば。
今度聞いてみようと思います。
どこまで新品状態に持っていけるのか。
植村ダイバーSEIKO 6105-8110 まとめ
つくづく、運が良かったと思われる今回の事例。
物置にしまってあったから、途中適当に人に上げちゃったりしなくて済んだとも言えます。
管理人が子供の頃にこの時計を発見して間もなく、40年くらい物置にしまわれ、全く忘れられていた時計。
その間に、管理人には人生の色々な事が起こりました。
それらの事をこの時計は知らずに、眠り続けていたのが、最近復活したのです。
今では、大切に部屋のワインディングマシーンの中で回ってます。
最後になっちゃいましたけど、植村ダイバーという呼称は、探検家の植村直己さんがつけておられた時計だからです。
植村 直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日[1][2] – 1984年(昭和59年)2月13日[注 2][2])は、日本の登山家、冒険家。兵庫県出身[2]。
1970年、世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した[注 3][6][2]。同年、『世界初の五大陸最高峰登頂者』となる[注 4][2]。1978年、犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した[2]。1984年、冬期のマッキンリー(現・デナリ)に世界で初めて単独登頂[2]、下山中に消息不明となった[2]。)。
1984年、国民栄誉賞を受賞した[2]。⇒wikiより引用
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